タイトル:これからも、どうぞよろしく。
執筆者:りこ
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在宅勤務をしている私の仕事部屋のドアごしに、息子が声をかける。
「今から塾に行ってくるね」
「分かった。頑張ってきてね」
「ママも仕事頑張れよ!」
そう言って、元気に家を出ていく。
息子は、学校から帰ってきたら、宿題をし、友だちと遊び、時間になったら習い事にひとりで出かける。
こんな日常が当たり前になった。
生活がずいぶん落ち着いてきたと感じる。
あれから10年たったのだ。
今から10年前、私は1歳になる直前の赤ん坊を抱えて、新しい土地に引っ越してきた。引っ越して2週間後に息子を保育園に預け、その2週間後には正社員として働き始めた。大きな不安を抱えながらも、新天地で頑張ろうと覚悟を決めたつもりだった。
だけど、半年を過ぎた頃から、だんだん心が沈み始めた。ひとりで幼い子どもを抱えて働くことは、想像以上にハンデが大きかった。私は、どんどん疲弊していった。この職場で、これから本当にやっていけるのだろうか。この子をちゃんと育てていくことができるのだろうか。
ある日、保育園から帰宅し、お腹を空かせた息子に早く晩ご飯を準備しようと、玄関から台所に急いで向かった。廊下を小走りしている途中、私は動けなくなってしまった。
「もうこれ以上、頑張れない」その場にうずくまり、声を殺して静かに泣いた。
そんな私を見た当時1歳の息子は、寝室によちよちと歩いていった。そこからお気に入りの緑のブランケットを持ってきて、私の背中にそっとかけてくれた。家にいるときは、肌身離さず持っているお気に入りのブランケット。そのブランケットをかけてくれたのだ。
私は、はっとした。
将来の不安に押しつぶされている場合じゃない。きっとなんとかなる。そう信じて、ただ今日一日を生き延びることに集中しよう。そして、息子の前では二度と泣かないことを誓った。
その頃から私は、お出かけ日記と読書日記を書きはじめた。
週末はふたりで、あらゆる場所に出かけた。保育園で「昆虫博士」と呼ばれるくらい昆虫が大好きだった息子を連れて、図鑑を片手に大きな公園や山へ昆虫採集に行った。その思い出を共有できるパートナーはいない。代わりに私は、お出かけ日記に記録した。
図書館にも頻繁に通った。小学生になるまで、毎晩たくさんの絵本を読んだ。そして、その感想を読書日記に書き留めた。
正直なところ、当時の記憶はあまりない。ひたすら忙しく、ただ必死だった。息子には申し訳なかったという気持ちがある。でも、実際に私の手元に残っているお出かけ日記と読書日記を読み返すと、ふたりで過ごした楽しい記録が生き生きとつづられている。
そこには、悩みも不安もない。新しい土地で、さまざまな人と関わりながら、いろんな経験をしてきたことが、確かに記録されている。
これを申し訳なく思う必要があるだろうか。
ふたりで、こんなにも充実した日々を歩んできたのだ。
私は、それを誇りに思いたい。
10歳になった息子はもう、ほとんどのことが自分でできる。職場環境も大幅に良くなった。育児との両立が難しく、どこかの時点で辞めざるをえなくなるだろうと確信していた職場で、私は今も働き続けている。
金曜日の夜は、2個のワイングラスを取り出し、息子はジュース、私はワインで「1週間お疲れさま!」と乾杯する。
息子が生まれた日、こんな言葉をつぶやいたことを覚えている。
「生まれてきてくれてありがとう。これからあなたの人生のサポート役をつとめます。どうぞよろしくね」
一緒に過ごせる時間は、あとどれくらいあるだろう。
いつか、ここから大きくひとりで巣立ってくれるだろうか。
息子よ、これからもどうぞよろしく。
Mother's Dayキャンペーン2024ご寄付のお願い
最後までお読み頂きありがとうございました。このエッセイは、Mother's Dayキャンペーン2024のために、シングルマザーのりこさんが執筆しました。NPO法人シングルマザーズシスターフッドは、シングルマザーの心とからだの健康とエンパワメントを支援する団体です。ご寄付は、「シングルマザーのセルフケア講座」の運営費として大切に使わせていただきます。ご寄付はこちらの寄付ページで受け付けております。
慣れない土地で、日記を片手に奮闘されているりこさんの姿を思ったら、目頭が熱くなりました。シングルマザーやシングルファザーだけじゃなく、急な単身赴任になったご家族や、ワンオペで慣れない土地で子育てすることになったご家族、、 きっと日本中、世界中に、同じような方がいますよね。たくさんの方に読んでほしいなと思いました。
>これを申し訳なく思う必要があるだろうか。
>ふたりで、こんなにも充実した日々を歩んできたのだ。
>私は、それを誇りに思いたい。
子どもが小さいうちは、親は夢中で必死ですよね(自分はそうでした)。 だから、やってきたことに後悔とかは要らないと思っています。
子育てに正解はないし、子どもが生まれた瞬間から親も1年生なので、 そのときそのときのベストを尽くすしかないと思っています。
「今するべきことに集中する」
子どもが成長した今も、自分は今を生きています。